2012年2月15日水曜日
タイでバレンタインデーにコンドーム6000万個無料配布!!
無料配布する理由としては、バレンタインデーに性行為を行う若者のカップルが多くなるという予想からだそうです。
この無料配布に使用される6000万個という膨大なコンドームを購入する費用はなんと6700万バーツ、日本円にして1億6900万円です。
また、性行為を行う若者が増えると当然、考えなければならないのは性感染症や避妊です。今回の無料配布は貧富の差が大きいタイならではのことでしょう。タイはバンコクを中心に経済発展が著しい国でもありますが、経済発展と切っても切り離せない貧富の差という問題も深刻化しているのが現状です。
タイには旅行でなんどが行ったことがありますが、バンコク市内でも裕福な人とそうでない人の差が実際には相当ありましたし、昨年の洪水による被害で、貧困層の方たちにとってはかなり打撃が大きく、特に工場などで働いている方それが顕著にでているようです。
タイに工場などの拠点に置く企業も今回の洪水災害の影響もあり、撤退する企業や未だ完全には回復していないようです。
こういった経済的にも難しい状況からタイが国を上げて今回のコンドーム6000万個の無料配布を行ったのでしょう。中国や、ブラジルなどの経済発展が著しい国もこういった活動をして少しでもHIVや性感染症の被害を食い止めてもらいたいものです。
2011年11月18日金曜日
ダイヤモンドを決める4つの要素
よく4Cという表現を耳にすることと思いますが、ダイヤモンドの価値と品質を決定付ける4つの要素になります。
その4つの要素の頭文字をとって4Cと呼ばれています。
1、カラー(color)・・・ボディカラーまたは無色
2,クラリティー(clarity)・・・透明度またはキズの程度
3,カットとプロポーション(cut)・・・通常メイクと言います
4,カラット(carat)・・・重さ、サイズに影響を与えます
そして、その中でも美しさを決める順番があります。
もちろん個人の好みもありますが下記のような順になります。
cut > color > clarity > carat
この4Cがどのように美しさや耐久性、そして重要になってくる価格に影響しているかを見極めながら、自分にとっての優先順位を決めることができます。
満足した気持ちで価格に見合った条件を満たすダイヤモンドを探す手助けになってくれるとともに、正しい組み合わせの4C見る目も養われることと思います。
カットとプロポーションがなぜ重要な要素かというと、その見た目だけではなく、耐久性にも重大な影響をあたえているということです。
2011年11月16日水曜日
本当に欲しい宝石を選ぶには
衝動買いはよくありません。ジュエリーショップで、色の濃淡や輝き、カットの些細の違いを見比べてみましょう。
同じように見えても、価格が異なればショップに理由を聞いてみるのも欲しい宝石を手に入れるための1つの手段にもなります。
もし、そこで答えられないようならば別のショップを探しましょう。
ジュエリーショップの話を良く聞いて、質問をして、よく見てどのような条件が揃ったものが自分にとって本当に欲しい宝石なのか?
買う前にもう1度自分に問いかけてみてください。
1,望んでいる色をしていますか
2,欲しいと思う形ですか
3, それが気に入って、見ているとワクワクしますか
4,買うことができる価格ですか
5,鮮やかさ・精気を備えていますか
異常の5つが当てはまるようならば、吟味する準備が整っているということです
欲しくて手に入れたつもりだったのに、数ヶ月や数年で飽きてしまったり愛着がわかなくて後悔することのないように冷静な気持ちで選びましょう♪
2010年3月7日日曜日
化粧品の歴史 日本 古代『黒』
黒には、高級、上品、シックといったイメージがあります、やはり昔の人々も黒く、艶やかに美しい長い髪は女の命に値するというほど大事にお手入れされていました。垂髪にはツバキ油かくるみ油を少量つけてから、梳櫛(すきぐし)でたんねんに梳きます。
結髪には、衣紋を抜いて着るようになり大きく開いた襟足を美しく見せるために、生え際の毛を抜いたり剃ったりと形を整えたのちに襟白粉を塗りました。これは、襟首が細く見えるので、舞妓さんなどが今でもその特徴的な襟化粧をしています。
近代に入り日本人の黒髪に対する憧れは変化し、欧米文化との交流などによって服装や生活様式が洋風化し、脱色や染毛によってしだいに茶髪など、それぞれのファッションや趣味趣向に合わせたり、肌の色に合わせたりという感覚でファッションの一部として楽しむようになりました。
眉も、時代によって様々な形が流行しました、時代や身分、階層、既婚・未婚などによってその眉の形で階級表示がされていました、それは非常にバリエーションに富んでいるものです。
現代は、染毛同様に眉も髪の色に合わせて染めたり、アイブロウを使い描いたりしていますが、やはり流行の形が時代によって変化しています。
そして、黒化粧の代表といったら『お歯黒』の文化です。平安時代には男女ともに上流階級のみ行われていた風習ですが、しだいに男性はやめ、女性に一般化されるようになったようです。鎌倉・室町時代になると上流武士と女性のみのものとなりました、8~9才になると初めてお歯黒の儀式をしました。江戸時代に入ると、男は公家だけを残して女性専用、それも未婚・既婚の区別となりました。婚約、結婚の際に親類縁者にお歯黒道具一式を貰い始めてお歯黒をつけます。未婚者でも20歳前後になると歯を染めた人もいたようです。
明治~昭和になり、その風習はだんだんとなくなり、今では見かけることはほぼありません。やはり、黒には不変で貞操をあらわしていたようで、時代の流れとともに美意識や生活が変わり、すべてが多彩になりました。
今では、婚礼・式典などの際に、黒の着物や紅白幕などといった形ですが、現代にも『赤・白・黒』の日本文化と言える世界観が残っているのでした。
2010年3月6日土曜日
化粧品の歴史 日本 古代『白』
『白』
日本や中国でも肌を白くみせるために白粉(おしろい)をつかい、顔や首筋にその『白』を塗りこみました、色白が美しさの基準であり、純潔で高貴なイメージがどんどん高まっていきました。
日本では持統天皇がはじめて『おしろい』をしました、白のイメージには清潔、純真、神聖、清浄、清楚、潔白、純潔、高貴、善などがあります。つまり白肌とは高貴さの象徴だったのです。働く庶民の日焼けした肌とは対照的でした。
江戸時代以前のおしろいは、植物性、動物性、鉱物性の白色顔料がありそれぞれ単品で使っていました。
植物性のおしろいは主に米の粉(デンプン)です、鉱物性のおしろいは白陶土(はくとうど)や滑石粉(かつせきこ)や雲母を、動物性のおしろいではハマグリなどの貝殻粉でした。
今のおしろいとは違いノビ、ノリ、ツキがそれぞれ良くないようですが、奈良時代になってから大陸から鉛白粉(鉛白)や水銀白粉(軽粉)が伝わり、古代~中世にかけては鉛白粉が使われ中世末期ごろから水銀白粉が使われるようになりました。水銀系はキラキラと透明感があり、鉛白粉は細かくやや不透明ですが、ノビ、ノリ、ツキの3条件を満たす素晴らしいものでした。
現代では水銀や鉛が体にとって、とても害のあるものだと知られていますので使用されることはありませんが、当時の人々(特に歌舞伎役者など)はその中毒性によって病に侵されるなどの結果を招いていたようです。
明治時代になり、無鉛の白粉の研究が進みましたが、まだまだ納得のいく製品が開発されるまでに時間がかかり、中毒性があると解っていてもなお、鉛入りの白粉が使用されていました。明治末になると舶来のおしろいや洋風化粧が少しずつ普及され、紅色、肉色、砥の粉色、黄色などが出始めたようです。
大正6年に資生堂が白、黄、肉黄、ばら、牡丹、緑、紫の七色粉白粉を発売し、それを機に当時の大手メーカー(レート、クラブ、御園)も多色白粉を発売しました。和装の装いがまだ多い時代で需要はそれほど多くなかったようです。
昭和に入り、第2次大戦後になるとアメリカからファンデーションが新しい化粧品として売り出され流行しました。これは乳液状、クリーム状、スティック状のもので、化粧水と白粉を1度で済ませられるようにとインスタント感覚から発売され、その効果はおしろいよりも自然な感じでシミが隠せ、肌色もきれいい見えることから、若い女性を中心に大ヒットしました。
その後マックスファクターから少量のクリーム(油分)とおしろいでケーキ状(パウダーファンデーション)が開発され、同様にレブロンからも昭和26,7年ごろにクリームパフというネーミングで発売されました。
以来、新しい素材の探索と配合割合などの研究が続けられましたが、そのベースはカオリン、タルク、亜鉛華、二酸化チタン、金属せっけん、マイカ、スターチなどで、古代顔料が現代まで受け継がれてきたのがうかがえます。
2010年3月5日金曜日
化粧品の歴史 日本 古代『赤』
『赤』
赤は世界中で、そして日本でも特別な色とされていました。
古代から赤土・赤い顔料を体に塗り『魔よけの色』として、儀式などを行う時のための神聖な意味合いがあり、女性だけのものでは無かったようです。
古代人は、その赤色に流れる血液の色・燃えさかる火の色・生命の源でもある太陽の色など赤色には特別な強いパワーが秘められていると感じ用いられてきました。
6世紀後半から中国(随)より紅(花)や白粉が輸入され、奈良時代や平安時代になると唇と頬に赤い紅を染めました。これが日本の化粧文化の原点とされています。
舞妓さんや結婚式の白無垢姿の花嫁さんなどに残されているメイクというのが、白粉(おしろい)に赤紅であり、赤が引き立ち、妖艶でいて奥ゆかしさを感じさせられます。
必ず、どの化粧品メーカーも『赤』の口紅を揃えています。
やはり現代においても、赤は女性のイメージでありセクシーな色であり、真っ赤に染めた唇というのは、魅惑的です。
ちなみにルージュってフランス語で『赤』って意味で、口紅も頬紅もルージュって呼ばれていたそうです。
2010年3月4日木曜日
化粧品の歴史 近世~現代
19世紀後半になると、医学と科学が飛躍的に進歩し、新しい化粧品が開発されました。これまで使われてきた、鉛白(えんぱく・炭酸鉛)は使用禁止になり、開発された化粧品がデパートなどで売られるようになりました。
20世紀に入ると、さまざまなスキンケア用品が製造、販売されるようになり、美容外科手術も発展しました。女性たちは、それまでの習慣だった窮屈なコルセットを脱ぎ捨て。脚が見えるようになった新しい時代の服に似合うように髪も短くした。
女性もしだいに社会進出を始め、ココ・シャネルが推進役となり、白い肌に変わり日焼けした肌が好まれるようになります。もちろん、太陽光線が肌に危険を及ぼすことも知られるようになりますが、流行は衰えませんでした。
1930年代になると、次々と女性誌が発行され表紙のモデルのような化粧ができる、正しいメイクの仕方が写真ともに紹介されるようになり、こうして世の女性達は化粧のテクニックと正しい知識を手に入れることができるようになりました。
ハリウッドスターのメイクが女性達の影響を与え、マリリン・モンローのふくよかな唇に金髪、ソフィア・ローレンの高い眉などが流行しました。このころから、服装とメイクのバランスも考えられるようになり、メイクも使いわけるようになりました。
1960年以降には、ますます女性が社会で活躍する場が増え、そうした社会背景から伝統的な美よりも社会生活に適応する美へとシフトされていきました。
ファッションもスカート丈は、初めて膝上に上がり、「ミニ」と呼ばれ、女性達の意識を変えました。
1970代にはヒッピーなどの影響もあり、自由と平和の思想がカジュアルな服装とメイクのスタイルが目立つようになりました。
1980年代になると、ダイエットやボディーケアにも意識が高まります。美容用品や化粧品も科学的進歩を経て、更に多様化されてきます。
1990年代に入るとスキンケア用品が注目されるようになります、UV化粧品や健康補助食品(サプリメント)やマッサージなど身体を内面からケアをして、素肌を健康に保つことの美しさを求めるようになりました。程よい運動やスパなどで汗を流し、肌を活性化させ毒素を排出し、心も落ち着かせリラクゼーション効果も得られるように生活の一分に加えられました。
現在の21世紀はインターネットの普及などによって、コスメ商品や手法も簡単に手に入るようになりました。スキンケアしかりメイクアップ化粧品1つにしてもこの膨大なコスメの中から何を選ぶか?自身に問われる時代になりました。