中世
ローマではキリスト教による禁欲主義の背景が強く、化粧をすることは卑しい行為で淫欲と傲慢の2つの大罪を犯すことを意味しており、化粧をするものは悪魔と契約したとされ、男性を誘惑して地獄に引きずりこむものとされました。
また、古代ローマからの化粧品の多くは肌にとって害のある水銀や鉛が使われており、結果肌は荒れ、徐々に肌は逆に黒ずんでくる上、皮膚にシミはできやすくなり、全身いたっては衰弱し早死にするという事態を招いていました、そのことが魔女や悪魔の仕業とされ、化粧熱は薄らいでいったようです。
中世での美の基準は若くて、髪は金髪、肌は透き通るように白く、額は広く、眉は弓形、鼻筋は細く整って、瞳は輝き、あごは柔らかく丸みを帯びていて優しい印象の女性が求められました、よって女性達は理想像に近づける為、化粧に熱中し過ぎて危険(有害)な化粧品を使用することで歳よりも老けた顔になり間逆の結果を産みました。
14世紀の医学書にはグロテスクな材料(コウモリやカエルの血)などが載っており、美に対する女性の執念のようなものが感じ取れるようになります。
16世紀になるとシミや吹き出物をかくすようにするつけぼくろと、染毛や脱毛や化粧が貴族階級の間で流行します。
18世紀の貴族達から、ブルジョワ、老若男女にいたるまで色とりどりの頬紅が大流行し昼夜問わず紅を塗りこみ、頭には白いかつらをかぶり、ウエストの細さを競うためコルセットで締め付けていました。
入浴をする慣習があまりなく、香水で臭いをごまかしていました。
やがて18世紀後半になると度を越した化粧が消え去り、自然美へと回帰されました。食事も見直し、自然素材を求め健康なからだを取り戻しただけでなく、ライフスタイルも自然のものとし、素朴で清純な顔が求められるようになり、かつらや派手な頬紅などは廃れていきました。つまり偽らない顔が美とされるようになりました。
19世紀になってから、やっと身体の清潔さを保つということに注目が置かれるようになり、石鹸や浴室や美容液などが広く普及されるようになりました。
また化粧品の成分も肌の有害性を考え植物性のものに変わっていきました。
男性は19世紀半ばから化粧をしなくなりました。