2010年3月1日月曜日

化粧品の歴史 古代

世界 古代

化粧の歴史をさかのぼると古代エジプトの時代はすでに高度な美容技術が発達していたようです。

アンチモンの粉末で作ったコール墨で目を縁取りぱっちりと大きく見せるだけでなく砂漠での強い日差しと砂塵を防ぎ、眼病予防として医学的な効用も兼ね備えており、また神宮階級層にとってはホルス神(鷹目)を現していました。

エッセンシャルオイル入りの風呂にもつかり、ナイル川の泥土(天然のソーダ石)で体をこすり清潔にし。香油でマッサージもしました。頭の上には紡錘形の冠のようなものに芳香剤を乗せており、これは体温によって少しずつ溶け全身に滴り落ち、香水のように良い香りを漂わせるものでした。発見されたミイラの棺からも没薬が見つかったことから、古代エジプトでは香りは神聖のものとし、魅惑的なものでもあったようです。

また、天然の動植物のオイルやハーブ・蜂蜜などを聖者や医者が、美容・防腐・殺菌作用などの効用を目的として調合されていました。ミイラにも香料を用いられており、防腐の役割をしていました。

男女ともに化粧をしており、全身には黄土色のファンデーションを塗り、孔雀石からはアイシャドーを作り、眉やマツゲは黒く染め、頬紅、口紅、アイラインを入れマニキュアとしてヘンナで爪をオレンジに染め、かつらをかぶります、そしてまばゆい装飾品を身にまといました。

古代エジプトの美容法は後の世代にも影響を与え、現在でも応用されているぐらい優れているものでした。

それと対極に古代ギリシャでは自然美が理想とされており、美とは均整のとれた肉体であり化粧などで飾り立てることは、ごまかしであり人を欺いているとされました。

そのため運動場などで体操やスポーツをしてからだを引き締め全体的なプロポーションを整えていました。オリンピアの歴史は今のオリンピック競技にあたります。

その背景には宗教的な要素と男性中心の社会であったからだとされています。

やがて、化粧をして外出することも認められるようになると、またたく間に化粧が広まります。石膏でつくったおしろいや天然の植物や金属製の鉱物などを調合して様々な化粧品を作っていました。おしろいを体にも塗り、胸の白さを強調して、透けて見える血管にも緑や紫色で装飾していました。もちろん、からだに害のあるものが多く、長年使用することによって肌が荒れ、果てには鉛中毒になってしまいました。